ルアンナムター近郊のランテン族のナムディー村にて

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 9月3日
 
 前日宿泊したルアンナムター(ヴェトナム,中国,ミャンマーとの国境線近く)のホテルを出発し,少数民族の村々を訪問するため,ムアンシン方面に向かって北上し,途中で右折してナムター川を渡り,その支流に沿って高い山に囲まれた山間に向かいました。途中,赤牛や水牛の姿を見かけました。

 9時30分,漢字を使用するランテン(レンテン)族のナムディー村に到着しました。川の向こうに彼等の集落があります。

 1枚目の写真。車で小さな橋を渡ったところで,折りから子供を連れてやって来たランテン族の服装をした女性に出会いました。お母さんは赤ちゃんをあんな風に抱くのですね。
 多数民族ラオ族のガイドさんが色々とこの村の情報を聞き出してくれました。

 2枚目の写真。村の一番高所にあるお宅にお邪魔することになったのですが,途中で高床倉庫(米倉)を見掛けました。柱に巻いたトタンの上部に色々な形をした波トタンが取り付けられていることがわかります。
 この村では,殆どの高床倉庫で,こういう形で「ねずみがえし」が設置されていることがわかってきました。新しい発見です。

 3枚目の写真。後で別のお宅の高床倉庫の中を見せていただいたのですが,籾のままで精米される前の米が保存されていました。ヒョウタンで作った籾をすくう容器もありました。
 稲穂のままで籾を保存しているのでは,という当初の私達の予想は外れました。

 4枚目の写真。2枚目の写真の倉庫のそばに,倉庫に上るための古い形式の階段が置かれているのを見つけました。日本の弥生時代のそれに類似しています。

 5枚目の写真。私達がお邪魔した大きな藁葺きのお宅です。

 6枚目の写真。ここで思いがけぬモノとの出会いが待っていました。モン族の稲の穂摘み道具のスケッチを見せたところ,「それはモン族のモノで私達のモノとは違う」といって,父親が使用していたという稲の穂摘み道具(刃がついた部分が青色のプラスティック製)を取り出し,さらに祖父が使用していたものだといって,それよりも古いモノを取り出してきてくれました。
 モン族のそれとはだいぶ形は違いますが,持つところが竹で作られた,より改良された形を持つモノでした。『稲のアジア史 1巻 アジア稲作文化の生態基盤』(1997)には見られない形のモノで,これも新しい発見でした。
 交渉の結果,古い方を譲っていただきました。研究を深化させるための嬉しい買物になりました。

 7枚目の写真。眉毛を剃り子供を抱いた若いお嫁さんが,すでに摘み取ってあった稲穂のサンプル(後でこれを貰いました)を示しつつ,その使い方を教えてくれました。

 このナムディー村の奥には滝があるようでそこに向かいましたが,川を渡る橋が壊れていたため渡れず引き返しました。

 結局,1時間30分程,そこに滞在しました。山から下りる途中で滑って服を汚しましたが,いくつかの新しい知見とモノを得た収穫の多い半日でした。

 しかし,この後・・・・(笑)。