吉祥寺の墓地で見つけたW家の大きな五輪塔


 西日本を中心に辛いことも多くあったとはいえ、7月8日からもう10日以上、日がたちました。

 そろそろ和歌山県白浜町市鹿野の城跡での駈足調査報告を終わろうと思います。

 最後は、ついでに回った市鹿野の吉祥寺(きっしょうじ、臨済宗妙心寺派)の墓地で見つけたW家の五輪塔のことを写真報告しておきます。驚いたのはその五輪塔の大きさです。その時はメジャーを持っていなかったので正確には計測できていませんが、大きい五輪塔は2m前後あるものでした。

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 全部で6体ありました。全て調べたわけではありませんが、一番右端のものには「元禄七年」(1694)の年号が刻まれていました。五輪塔の頂上をかなり尖らす宝珠などの特徴から見ても近世の江戸期のものであることは間違いありません。
  W家は、6体もの墓石の大きさや寺との距離の近さから考えて、近世を通じてかなりの財力を持った村でも有力な一家であったことが推定されます。

 いずれにしても、W家と、市鹿野城の城主と伝承される「和田兵衛」との関係を考え合わせると、面白い事実が浮かび上がってきそうです。私は近世が専門ではありませんが、地元の人達を中心にした近世史料の掘り起こしに期待したいと思います。