9月12日の和歌山城


 9月12日の紀州地域史共同研究会後、「松生院」見学に出掛けましたが、その前に和歌山市の発掘担当者の北野氏に、和歌山城石垣用の「石切場を案内してもらいました。
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 これらはいずれも徳島城の石垣に使用されている石と同じ青石すなわち緑泥片岩(もちろん和歌山産・三波川結晶片岩類、1億数千万年前)です。大和・紀伊・和泉3国の国主・豊臣秀長時代(若山城代の桑山重晴時代)などの古い時代の石垣などでこの緑泥片岩が使われています。
 今回は通りませんでしたが、下の写真のように。古い野面積みの緑泥片岩の石垣に墓石(宝篋印塔)の一部が転用石としてはめ込まれた珍しい例もあります。
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 「松生院」見学後、三年坂通りまで引き返し、和歌山城の東南に設けられた「岡口門」(国指定重要文化財)を入り、
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よく見慣れた花崗岩の切り石で造られた石垣(↓)の横を通る。切り込み積み工法で造られた徳川時代の石垣です。
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 城内をしばらく歩く。これが、紀州徳川氏統治下の大手門である「一之橋御門」です。ずーっと昔々、私の父方の先祖も登城の際、ここを通ったのでしょうか。
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 そして最後に、皆で集まって撮影した和歌山城の小天守閣(再建)と御橋廊下(藩主と付き人達だけが渡ることができた全国でも珍しい橋、もちろん復原です)の写真です。
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